ある日常の覚え書き

映画や小説、旅についてなど

ジュラシック・パーク

ジュラシック・パーク
Jurassic Park
1993年 アメリカ 127分

子どもの頃に憧れた恐竜。
ジュラシック・パークのメインテーマは誰しも聞いたことがあるのではないか。

音楽を聴いて映画を思い出す。映画観て音楽が脳内に流れる。
この映画は記憶に残る素晴らしい映画だ。

何度観ても楽しめる。
子どもも大人も楽しめるのだが、私が子どもの頃は「怖い」映画だと思っていた。
一種のトラウマ映画だった。

ジュラシック・パーク、ロスト・ワールド、3と三作の映画が作られていた。
どの映画がどんな内容だったか。曖昧なところもある。
そんな薄れていく記憶の中に、強烈に残っていたのは、やはりティラノサウルスだ。

ティラノサウルスの登場シーンは忘れることができない。

ティラノサウルスの餌としてヤギが首輪で繋がれていた。昼間、ティラノサウルスは現れずヤギは檻の中で佇んでいた。
夜になり、嵐がジュラシック・パークを襲う。パークはある理由から停電してしまう。
車の中の主人公たちは怯えはじめる。
ドンドン。どこからか、大きな音が鳴り響く。
何の音だ?
カメラはそこで、水の入ったコップを映す。ドンドンという音の度に、水に波紋が広がる。
少年がふと、ヤギを見る。しかし、そこにヤギはいなかった。さっきまでいたヤギがいない。どこへ行ったのか?
少年たちは怯える。そこへ、上から血に塗れた大きな骨が。
そしてティラノサウルス登場!
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ティラノサウルスが登場するまで、見えない恐怖が観ている私たちを虜にする。
見えない恐怖、どんな恐怖が現れるのか。見えないものを、想像力で補おうとする。見えないからこそ、余計に怖くて、面白いのだ。
ジョーズ』もそうだ。サメの姿はほとんど出てこない。音や映像の見せ方で観客の恐怖をかきたてる。
想像力を刺激するのだ。
「綺麗な映像でサメを登場させて、いたらこれほどのヒットは得られなかったかもしれない。恐怖を想像するからこそ観客は楽しむことができた」
スピルバーグ監督はこのようなニュアンスのことを言っていた。

想像力があるから映画は面白いのだと、感動したのを覚えている。



ティラノサウルスといえば、トイレのシーン。トイレに逃げ込んだ男が食われるシーンはトラウマ間違いなしの強烈なシーンだ。
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恐ろしいのはティラノサウルスだけではない。ラプトルだ。
彼らは小型だが、群れをつくる。そして恐ろしく知能が高い。
ティラノサウルスが動くものしか捉えられないのに対し、ラプトルは獲物をしっかり捉えられるのだとか。
小さくなって知能が高くなったティラノサウルスという印象。
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こ、怖すぎる。

ディエゴのスケアリー・モンスターズ、恐ろしいなと改めて。
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色々と脱線したが、『ジュラシック・パーク』はこれからも何度も観る映画だ。
いい映画は色褪せない。

8月公開予定の新作が楽しみだ。

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殺しのテクニック

殺しのテクニック
Technica Di Un Omicidio
監督:フランク・シャノン
1966年  イタリア、フランス  93分


犯罪組織に雇われている殺し屋のフランク。彼は引退を決意し、最後の殺しを行う。しかし、組織の情報を流す裏切り者のセキの殺害を依頼される。
断わろうとするフランクだが、セキらしき人物に兄を殺されてしまう。
そこで彼はセキ殺害の依頼を受けることにする。
ニューヨークからパリへ。陰謀渦巻くハードボイルドノワール映画。
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フランクがビルの屋上でスナイパーのライフルを手際よく組み立て、狙撃するシーンがある。
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次元大介の墓標』でヤエル奥崎が銃を組み立てるシーンがあり、一つ一つの音や動作が非常に魅力的だった。
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この『殺しのテクニック』に影響を受けた映画は他にも色々あるのだろう。

フランクは狙撃の際、わざわざアイパッチ(眼帯?いっしょか。。)をつけていた。片方の目で敵を捉え、確実に仕留めるために。
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まさに、殺しの"テクニック"
テープで柱に拳銃を固定させて隠しておくなど、今ではよく見るテクニックもこの頃は斬新だったのかもしれない。

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ヤエル奥崎も片目の狙撃を行っていた(別の理由で片目なのだが)。

影響を受けたのか受けていないのか定かではないが、私は『殺しのテクニック』へのオマージュ的なものだったのではないかと感じた。

いつの間にか『次元大介の墓標』についての記述になってきているような気がするので、そろそろ話題を変えようと思う。
私は『次元大介の墓標』が大好きなのだ。

『殺しのテクニック』は古き良き映画だ。映画に流れる音楽もシーンに合っていて感情が高ぶる。

ストーリーに複雑なところはなく単純で楽しみ易い。
93分という見易い時間なのも魅力の一つだ。

現代のアクション映画に慣れてしまっているため、古いアクションに物足らなさを感じてしまうかもしれない。
しかし、現在のアクション映画たちは古き良き映画たちに影響を受けたものが多く存在するはずだ。

この映画のこのシーンは、あの映画から影響を受けたのかもしれない。
それを探すのもまた映画を観る楽しみではないだろうか。

映画には色々な楽しみ方がある。




とあるセリフの覚え書き

 

 

「人が言われて一番嬉しい言葉は自分の名前なんだ。だから好きな人の名前はたくさん呼んであげるんだ」

ラースと、その彼女 07年/クレイグ・ガレスピー

 

 

「shit, man. I’m a natural born killer」

ナチュラル・ボーン・キラーズ 94年/オリバー・ストーン

 

 

「子供は皆、黄金なんだ」

アウトサイダー 83年/フランシス・フォード・コッポラ

 

 

「殺したなんて…ロマンチックだわ!」

トゥルー・ロマンス 93年/トニー・スコット

 

 

「撃った後、目を見たか?俺は必ず見る。あの瞬間は本性が見える。卑怯者は図々しい。勇敢な奴は泣く。不信心者は祈る。俺らはどうなるかな」

野良犬たちの掟 05年/ミケーレ・プラチド

 

 

「真の紳士は農民よりは朝寝坊しても怠け者よりは早起きする」

あしたのパスタはアルデンテ 11年/フェルザン・オズペテク

 

 

「思想の無い芸術など無駄」

もうひとりのシェイクスピア 12年/ローランド・エメリッヒ

 

 

「復讐といううまい料理はあとを引く後味も格別だ」

ディナー・ラッシュ 01年/ボブ・ジラルディ

 

 

「お前は明日を生きる。明日を生きるやつが今日を生きるやつに殺される。俺は今日を生きる。それがどれほど悲惨なものか、思い知らせてやる」

アジョシ 10年/イ・ジョンボム

 

 

「一日の終わりを誰かと乾杯できたらそれはしあわせだ」

しあわせのパン 11年/三島有紀子

 

 

「人生はサーフィンと一緒。波にのまれたら、また立ちなおせばいい。次にいい波がくる」

ソウル・サーファー 12年/ショーン・マクナマラ

 

 

「どこへ行く?我が道さ」

暴力脱獄 67年/スチュアート・ローゼンバーグ

 

 

 

 

私がいままで観てきた映画の好きなセリフを羅列してみました。

少し違っているところもあるかもしれませんがお許しを。

業火の向日葵

名探偵コナン 業火の向日葵 2015年 日本 113分

名探偵コナンの劇場版。

私は子供の頃からのコナンファン。

劇場版もつまらないとわかりつつ、ついつい足を運んでしまう。

今回の作品、正直言ってジョリー・ロジャー並みにつまらなかった!

怪盗キッドは大好きなので、キッド様を観に行ったと思えば楽しめなくもないが…

いや、楽しいことは楽しいのだが、何かこう物足らなかった。

オリジナルTVアニメのスペシャルといった印象。

 

灰原哀ちゃんのヒロイン要素が強い今作。

そこはとてもいい。哀ちゃん推しなので。

 

最近はアクションに力を入れた見せ方だなあと。

正直かっこいいし高まるのだけど、飛行機のやつは何かやりすぎだなあ。

 

ゲストが声優のキャラクター。ということは…

榮倉奈々の声優は苦手。というか女優としての演技も私は好きではない。

個人的には下手だと思っているのでなるべく見ないようにしている。

 

もはや面白い面白くないという理由でコナン映画を観に行く人はいないのかもしれない。

好きな人は映画館でコナンのあの高まるオープニングを見たいのだ。

 

来年は黒の組織が絡んでくるのか?

必ず観るだろう。

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ 監督:吉田大八 2012年 日本 103分

【私なりの解釈、感想】

誰もが一度は体験したことのある学校内のヒエラルキー

様々な人たちの群像劇で登場人物の誰かに感情移入することができるだろう。

私は、映画部の前田をひいき目に見ていた。とはいえ、私は高校時代は帰宅部

彼のように映画を撮り始めたのは大学に入ってからだ。

部活動として映画部をひいきに見ていたというより、前田に自分を重ねて見ていたような気がする。

桐島というヒエラルキーの頂点にいる万能型の男が部活をやめた。

「だからどうした」私がこの学校にいたら、そう思っていただろう。

桐島という男に踊らされている世界の連中が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

仲の良いグループなのかと思いきや、ギスギスとしていて、おそらく、卒業したら二度と顔を合わさないようなグループもある。

くだらない馴れ合いがいかにも高校生で、リアルに描かれていると感じた。

私は高校生の当時からこの馴れ合いが大嫌いだったのを思い出した。

俺は何をやっているんだろう?何をそんなに頑張っているのだろう。

好きなことを好きなようにやっているのだ。

何をやっているのか、自分の歩いている道が見えなくなった時、この映画が道しるべになるかもしれない。

万能型でなんでもできる。背も高く顔もいい。そんなヒロキが高校生活で抱える言葉にできない虚無感(のようなもの)。

屋上での前田との触れあいで涙を浮かべていた。彼は何を思ったのだろう。

気が付くと、私はヒロキの視点でもこの映画を体感していた。

野球部のキャプテンの「ドラフトが終わるまで」という言葉のシーンでは涙がこぼれた。

感動のポイントは人それぞれ違うだろう。過ごしてきた高校生活、人生観などによって変わってくる。

私と同世代の人には、是非ともこの映画を観て欲しいと思う。

橋本愛がかわいい。それだけで、手に取ってみるのも悪いことではない。

ゾンビたち(ヒエラルキー底辺)の復讐のシーンは胸があつくなった。

「でも、それはないかな。映画監督は無理。俺たちの好きな映画と今自分たちの取っている映画が繋がっているんだなあって思う時があって、ホントにたまになんだけど、それがなんかこう…」

前田くんはラストの屋上でのシーンでこのような言葉を残す。

私にはこの言葉が深く深く刺さったのだ。

このラストシーンにすべてが詰まっている。

私はそう感じた。

桐島に踊らされているやつらの世界と映画部の小さな、でも「自分」たちの世界。

学校という狭い世界の中で少年少女は生きている。

私は「自分」という譲れない軸がある世界にいたいと思う。

たけちゃんの「おっまた~」にハマって真似をしていた時期がありました。