ある日常の覚え書き

映画や小説、旅についてなど

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ 監督:吉田大八 2012年 日本 103分

【私なりの解釈、感想】

誰もが一度は体験したことのある学校内のヒエラルキー

様々な人たちの群像劇で登場人物の誰かに感情移入することができるだろう。

私は、映画部の前田をひいき目に見ていた。とはいえ、私は高校時代は帰宅部

彼のように映画を撮り始めたのは大学に入ってからだ。

部活動として映画部をひいきに見ていたというより、前田に自分を重ねて見ていたような気がする。

桐島というヒエラルキーの頂点にいる万能型の男が部活をやめた。

「だからどうした」私がこの学校にいたら、そう思っていただろう。

桐島という男に踊らされている世界の連中が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

仲の良いグループなのかと思いきや、ギスギスとしていて、おそらく、卒業したら二度と顔を合わさないようなグループもある。

くだらない馴れ合いがいかにも高校生で、リアルに描かれていると感じた。

私は高校生の当時からこの馴れ合いが大嫌いだったのを思い出した。

俺は何をやっているんだろう?何をそんなに頑張っているのだろう。

好きなことを好きなようにやっているのだ。

何をやっているのか、自分の歩いている道が見えなくなった時、この映画が道しるべになるかもしれない。

万能型でなんでもできる。背も高く顔もいい。そんなヒロキが高校生活で抱える言葉にできない虚無感(のようなもの)。

屋上での前田との触れあいで涙を浮かべていた。彼は何を思ったのだろう。

気が付くと、私はヒロキの視点でもこの映画を体感していた。

野球部のキャプテンの「ドラフトが終わるまで」という言葉のシーンでは涙がこぼれた。

感動のポイントは人それぞれ違うだろう。過ごしてきた高校生活、人生観などによって変わってくる。

私と同世代の人には、是非ともこの映画を観て欲しいと思う。

橋本愛がかわいい。それだけで、手に取ってみるのも悪いことではない。

ゾンビたち(ヒエラルキー底辺)の復讐のシーンは胸があつくなった。

「でも、それはないかな。映画監督は無理。俺たちの好きな映画と今自分たちの取っている映画が繋がっているんだなあって思う時があって、ホントにたまになんだけど、それがなんかこう…」

前田くんはラストの屋上でのシーンでこのような言葉を残す。

私にはこの言葉が深く深く刺さったのだ。

このラストシーンにすべてが詰まっている。

私はそう感じた。

桐島に踊らされているやつらの世界と映画部の小さな、でも「自分」たちの世界。

学校という狭い世界の中で少年少女は生きている。

私は「自分」という譲れない軸がある世界にいたいと思う。

たけちゃんの「おっまた~」にハマって真似をしていた時期がありました。